fincleでは経済や金融に関するさまざまなトピックを取り上げていますが、今回はアジア通貨危機について解説していきます。
アジア通貨危機は1997年7月にタイを起源として発生した世界的な金融危機です。
いまから20年以上前に起きた出来事だけに、詳細をきちんと理解している人も少ないのではないでしょうか。
しかし、経済や経済史を理解する上でアジア通貨危機について理解することは欠かせません。
今回の記事ではアジア通貨危機について知識が無い方でも理解ができるよう丁寧に解説していきます。
早速、アジア通貨危機がどのようなものだったのか確認していきましょう!
目次
アジア通貨危機とは?
先ほども解説したとおり、アジア通貨危機は1997年7月にタイを起源として発生した世界的な金融危機です。
主に東アジア、東南アジア地域の国々の経済に悪影響を及ぼしました。
特にタイ、インドネシア、韓国の被害は深刻で最終的にはIMFによる管理下に置かれる結果となりました。
こちらはアジア通貨危機で特に被害を受けた国々のGDPをまとめたデータです。
アジア通貨危機が発生した翌年、1998年のGDPが各国とも大幅に下落していることが分かるかと思います。
特にタイはアジア通貨危機が発生する前から、GDPが下落していることが分かります。
後ほど詳しく解説しますが、元々経済状態が悪かったこともアジア通貨危機を起こす原因の一つとなっています。
アジア通貨危機の原因
アジア通貨危機が発生した原因はさまざまありますが、一番の原因はヘッジファンドによる大量の空売りです。
具体的にはどういった出来事が起きたのでしょうか。
ドルペッグ制による好景気、ヘッジファンドからの空売り
アジア通貨危機が発生する前、アジア地域の新興国の多くは通貨レートにおいてドルペッグ制という制度を採用していました。
ドルペッグ制とは、自国の通貨レートを米ドルに連動させる固定相場制のことをいいます。
一般的にドルペッグ制を採用する国は途上国や新興国が多いですが、これらの国々は自国の相場変動が不安定となりがちです。
そのため、海外投資や安定した経済運営がスムーズに行われない可能性が高くなってしまいます。
そのようなリスクを減らすために、基軸通貨である米ドルと連動し自国通貨との安定をもたらします。
アジア通貨危機が発生する1990年代前半、アメリカの好景気によりドルペッグ制を採用していたアジアの国々は通貨が上昇の一途を辿っていました。
特にタイはアジアの中でも高い成長率を見せており、多くの投資家によって投機対象と見なされていたのです。
しかし好景気というのはいずれは終わりを迎えるものであり、ヘッジファンドを始めとした投資家はタイバーツを疑問視し始めました。
このような考えがヘッジファンドの間で広がり、一斉にタイバーツに対して動きを見せます。
具体的には、大量にタイバーツを購入しその後一気に空売りして利益を得ようとする動きです。
例えば、僕が証券会社から空売りしたいB社の株を100株借りたとしましょう。
借りた100株を、B社に対しB社の株価が1株10,000円の時にすべて売ったとします。(10,000円×100=100万円)
この時点で手元には100万円がありますが、もちろんこれは借りた株なので期日までに証券会社に100株返す必要があります。
そこで、今度はB社の株が1株5千円に下がったタイミングで再度100株購入します。(5,000円×100=50万円)
1回目の取引の際には100株買うのに100万円必要でしたが、価格が下がったタイミングで再購入したので100株を50万円で購入することが出来ました。
これにより、100-50=50万円の利益を手元に残すことができます。
このように、投資対象である現物を所有せずに対象物を売る契約をする一連の流れを空売りといいます。
ヘッジファンドたちはバーツ価格は実態と伴わないと判断し大量に購入、価格が下がったタイミングで空売りをしました。
もちろん空売りにはリスクがありますが、ドルペッグ制を採用しているので価格が急に上昇することはないと判断したのです。
アジア通貨危機による影響
アジア通貨危機の具体的な原因が分かったところで、実際にどのような影響が起きたのか確認していきましょう。
実際に起きた影響としては以下が挙げられます。
- 変動相場制への移行
- タイバーツ暴落によりアジア地域へ余波が波及
変動相場制への移行
ヘッジファンドによる大量の空売りにより、タイ政府は急激に価格が下落したバーツを支えきれないと判断しました。
これ以上ドルペッグ制を採用すると、ヘッジファンドによるバーツ売りが止まらなくなる可能性があります。
よって、タイ政府はここでドルペッグ制から変動相場制への移行を決定しました。
変動相場制への移行を決定したのが1997年7月、ヘッジファンドによる空売りが始まってからわずか2ヶ月の出来事でした。
変動相場制に移行はしましたが、その後もバーツは暴落し続け当時1ドル=24.5バーツだったのが1年後には207.31バーツまで下落しました。
タイバーツ暴落によりアジア地域へ余波が波及
タイバーツが暴落したことをきっかけに、その余波はタイだけでなくアジア地域へと波及しました。
当時はタイ以外にも、インドネシアや韓国などもドルペッグ制を採用していたことによりヘッジファンドによる空売りが同様に発生したのです。
特に韓国はアジア通貨危機が発生する前から、財閥解体や金融部門での不良債権問題などが発生しており経済を不安視する声がありました。
タイバーツ暴落を機に、格付け機関のムーディーズ社は韓国の格付けをA1から最終的にBaa2まで落としたことで韓国の証券取引市場はさらに冷え込み韓国経済に打撃を与える結果になりました。
最終的にタイは勿論のこと、インドネシアと韓国もIMFの管理下に入り景気低迷が続きました。
1998年のロシア危機の発生
1997年に発生したアジア通貨危機は、翌年1998年に発生したロシア危機にも大きく関わっています。
ソ連が崩壊し1990年代移行は市場経済へと移行したロシアですが、現在と同様に当時から天然資源輸出に依存した経済政策を行っていました。
天然資源というのは、輸出先の経済状況によって供給量が大きく変化します。
1997年にアジア通貨危機が発生したことにより世界の景気が大きく後退し、天然資源など主要輸出産品の価格が大きく下落しました。
それを受けて投資家の間でも、リスクの高いルーブル(ロシアの通貨)より米ドルへのリスク回避が起きたことからロシアへ資金が集まらなくなる結果に。
また、下落するルーブルをチャンスと捉え投資を行ったヘッジファンドがさらなるロシア株の下落により損失を被るなど世界中で被害が発生しました。
特に、当時アメリカ大手のヘッジファンドであったロングタームキャピタルマネジメント(LTMC)社が経営破綻するなどし大きな話題となりました。
このように、アジア通貨危機は大きな余波を残しさまざまな影響を与えました。
おわりに
今回はアジア通貨危機について詳しく解説しました。
アジア通貨危機によってさまざまな被害がもたらされましたが、同時に被害を受けた各国では外国資本に頼らない経済政策を行うなどの対策が立てられたのも事実です。
特に被害を受けたタイ、インドネシア、韓国は自国による経済成長を促すような政策が行われ結果的にさらなる経済成長を遂げました。
アジア通貨危機で日本は援助をする側に回りましたが、今後も同じような事態が起きる可能性は否定できません。
20年以上前に起きた出来事ではありますが、どのようなことが起きたのか理解しておく必要があるでしょう。
今回の記事がアジア通貨危機を理解するにあたりお役に立てたら幸いです。