「うつ病」。皆さんはこの病気をご存知ですか?やる気がなくなる、仕事ができない人、ずっと落ち込んでいる人をうつ病だと思うのではないでしょうか。実は筆者はうつ病を経験し、化学療法をできるだけ行わずに克服をしてきました。うつ病は治らないと思われがちです。確かに完全に治るということは難しいのはもちろんなのですが、それでも症状は改善してきました。今回は筆者の実体験からうつ病になったきっかけとどうやって克服したのかをご紹介します。
また、今回のお話は、あくまでも体験談ですので、一例としてお読みいただけますと幸いです。
目次
うつ病とは?
皆さんは「うつ病」の症状を知っていますか?うつ病はなった人にしかわからない苦しみがあります。実際に筆者がうつ病になったときは、正直生きている心地がしませんでした。何のために今生きているんだろう、こんな苦しい日がいつまで続くんだろう、社会からの疎外感などいろんな気持ちを抱き、解放されない苦しみと戦ってきました。それでは、うつ病の症状をご紹介します。
◆うつ病の症状
・何に対しても意欲や興味がわかない。
・朝起きても起きられない。すぐに横になってしまう。
・食欲がなくなる。
・気持ちが高ぶったりいきなり落ち込んだりと感情の起伏が激しい。
・焦燥感や自虐的な感情に常に付きまとわれる
・不眠症になる。
・とてつもない不安に襲われて落ち着きがなくなったり、ずっと落ち込んでしまう。
など、うつ病は精神的・気分的障害である病気なので、一般的には「気持ちの問題」と言われてしまうことも多いです。周りの方々からの理解もなく、そんなの単にやる気がないだけ、弱い人間とも言われるほどです。そういう風に言われてしまうと、うつ病の方はもっと症状が悪化し、命を絶とうとする人まで出てきてしまいます。体の中で異常が起こる病気も恐ろしいですが、うつ病は精神だけでなく、体にも大きな負担がある病気の一種であるということをぜひ覚えておいていただきたいです。
人間関係から始まったうつ病のきっかけ
①家庭環境や個性の違いから学校集団生活のいじめ
十人十色とはよく言ったもので、人の個性は同じものが一つとしてありません。双子と言われる一卵性双生児であっても、感情は別です。似ていても同じ人ではないのです。その中でちょっとこの人変わっているとか、家庭環境が一般的におかしいと思われたりするといじめに発展し、人は追い込まれる事態になっていきます。
筆者である私の家庭は、母子家庭で、妹と私と母の三人暮らしでした。母は家にはほとんどおらず、仕事と男性との旅行でほぼ妹と一緒にいました。漠然と不安になったのは、母がいないときに家に誰かが来たらどうしよう、泥棒や変な人が来たら?とずっと不安な状態がいつも続きました。学校に行ってもその不安から睡眠がとれず、眠かったり集中できない日々も続きました。
その中で、友人からのいじめが始まりました。いつも一緒に行動していた友人たちから「あの子と一緒にいても面白くないから、一緒にいるのをやめよう」と集団で私に対しての無視が始まったのです。中学三年生の夏に、大きな役が回り、集団無視の現状が続いている中、誰からも協力が得られないのではと不安が強くなり、呼吸が苦しくなりました。
食事もとれず、吐き気がおさまらなくなり、保健室の教員に病院に連れて行ってもらったところ、「精神的に病んでいる状態」と言われ、薬は処方されず、自宅でしばらく休みました。良くはならなかったのですが、高校受験もあり、友達がいない中で最後の卒業式まで一人でいたことを今でも覚えています。常に気の休まる時間がなく、不安や孤独と戦い続けていたことが病気のきっかけでもあります。
②母・家族との関係
私の家庭は先ほど申し上げた通り、三人で生活していましたが、母の実家は近くにあり、祖母からの執拗な小言が毎日のようにありました。電話・押しかけがあり、勉強をしていてもずっと母の悪口を聞かされ、「母のようにはなるな。お前は別れた父親に顔がよく似ていて腹が立つ。」と言われ続け、毎日電話がなるとびくびくし、玄関のインターホンが鳴ったりドアがたたかれると恐怖に脅かされました。また祖母が小言を言いに来た、かんしゃくを起こして怒られる、どうしてこんな時に母がいないんだの繰り返しで、常に恐怖心に駆られていました。
母は家に帰ってきても、アルコール依存が激しく、職場の人たちの悪口をいうのですが、私には職場の人たちの名前を言われてもさっぱりわからず、ただただ機嫌の悪い母の話を聞かされ、酔いが回ったところで私に対しての怒りをぶつけはじめ、私がしてきた失敗の数々を怒り散らされ、泣くともっと機嫌を損ねるので謝り、布団に入り、毎晩しくしく泣きました。
アルバイト代を高校生で毎月7から8万円以上稼いでいましたが、母にすべて捧げ、携帯代も払っているんだからもっと働けと言われ、多いときは10万円を超す時もありました。お小遣いを言わないともらえなかったのですが、10代であった私は体も元気だったからよかったものの、達成感というものはほぼありませんでした。お小遣いをもらいたくても母の機嫌が悪くなると思い、我慢して友人たちとの交遊も断っていました。
アルコール依存の激しかった母は、男性と飲みに行っては嘔吐を繰り返し、そのせいで私は嘔吐恐怖症になりました。自分で吐くことも、嘔吐する人や嘔吐の気配がある人にも恐怖心を抱くようになり、大人になってもそれだけは治りません。
家族からの毎日の仕打ちや私自身への人間的否定をおこなわれつづけたのもあり、精神的ダメージが大きくなっていたこともありましたが、高校時代はバイトがあって、褒められたり、話す人がいたので、うつ病もそれほどひどくなく、ただただ家で過ごすのが嫌で、仕事であっても逃げ場があったことが幸いでした。ただ、毎日の恐怖感や機嫌取りからのストレスは日に日に積み重なって、成人して家庭を持った時に爆発しました。
③主人からの暴言や孤独感
家庭環境が一般的な家庭と違うため、結婚してからも義両親からの差別がありました。どうしてそんな家庭なのかと馬鹿にされたり、主人もそれを守ってはくれませんでした。主人は交代勤務で一緒にいる時間もほぼなかったため、子供といつも一緒で社会に出るということはできず、主人もまたアルコールが大好きでお酒がなくなれば夜中でも買い出しに行かなくてはならず、金銭的にも不安がありました。
うつ病が悪化し、症状がピークになったのはそのころが一番でした。食欲がなくなり、一日一食食べることもできなくなり、常に胃痛と戦い、胃がんではないか、病気ではないかと自分を疑い始め、もう生きていることが怖くなり、起きることもできなくなりました。子供と一緒でも楽しくない、子供たちが私のところに生まれたことがかわいそうだったんではないかとどんどん自分を追い込みました。どんなにこの世からいなくなれれば楽になるだろう、でも遺された子供たちはどうなるのかなど、行き場や逃げ場のない漠然な不安と毎日戦っていたことがこのうつ病を悪化させ苦しむ原因だったと感じます。
ここまでくれば、どうしてもっとましな人と結婚しなかったんだという声も聞こえてきそうですが、とにかく実家から逃げたかった、どうなったら幸せになれるんだろうと自分で勝手に行動した結果で自分を追い込んでしまった、そういう意識や決断力の低下がもともとからあったのだと思います。ましてやその時はうつ病であるとは思わず、普通に内臓系の病気だと思っていました。しかし、病院に相談しに行ったところ、内臓系の病気ではなく、「うつ病」「嘔吐恐怖症」「不安障害」「パニック障害」と精神病を四つも持っているのだといわれてしまったのです。
うつ病は一回なると治りにくい
家族は、同じ血の通った人間の集まる、唯一の味方であってほしいと私は思います。家族だからこそ、言いたいことを言う、伝えたいこと、直したいことを言いたいだけ言って聞かせたいという人もいるかもしれません。しかし、そういったことで家庭環境から本人を追い込み、社会に出てもその自信のなさから失敗を繰り返したり、やっぱり自分はダメなんだと自分が悟ってしまい、うつ病になるきっかけを与えます。
内臓である臓器や体の一部分を損傷しても、薬で治したり外科的治療で治すことはできます。精神病は簡単には治すということができない病気です。薬を飲み始めれば、離脱がしにくく、投薬はしばらく続きますし、感情は毎日入れ代わり立ち代わり、気持ちの持ちようでよくなったり悪くなったりを繰り返します。もし家族でうつ病の疑いがあると感じた場合は、責めずにしばし見守ってあげてください。苦しんでいる人が手を差し出したときに助けてあげてください。その時に助けられなかったらもう一生助けられないかもしれません。家族が唯一の味方であり、守ってくれる存在でいてほしいと願います。
うつ病の克服秘話
うつ病と診断されたのは、学生時代から13年目のことでした。私なりにインターネットでどうやって治療をするのか調べました。うつ病に使われる薬は、副作用として最初の一週間吐き気や嘔吐と戦う必要があることを知り、私はまたそこで絶望をしました。嘔吐恐怖症があるからです。そのため、私はもう治らない、このまま毎日吐き気と苦しさと戦うんだと思いっきり落ち込みました。
そこで私の妹が、朗報を持ってきたのです。「精神内科を営んでいる漢方医がいる。そこで聞いてみたらどうか。」その時、私は少しでも望みがあるなら行ってみようと、予約を取り、診察に向かいました。その先生はとてもユニークな方で、体の触診を行い、どこが弱っているのか見極め、漢方と最初は少し抗不安薬を出してくれました。まずは体の中を元気にしてみようという先生の治療方針のおかげで、1年間通い、薬が減り始め、薬を飲まなくても感情のコントロールができるようになりました。
二週間に一回先生との診察で近況を話し、治療方針を話したり、ユニークな話で笑わせてもらい、徐々に元気を取り戻しました。笑うということはとても体に良いことなんだと感じた一年でした。ナチュラルキラー細胞というのは、免疫力を高め、悪性なものを排除する抗体を付けることでも有名です。そのNK細胞を活性化するのは食べ物だけでなく、笑うことも含まれているそうです。ただ話しているだけと感じていたあの診察も治療の一環だったんだと、とてもいい経験をさせていただきました。
まとめ
今回は、筆者のうつ病になったきっかけと人間関係による病気が悪化した原因についてまとめてみました。このような同じ境遇の方がいるかどうかは定かではありませんが、うつ病の経歴を持つ人とお話をしたことがあり、状況は違えど、やはり似ている境遇の方が多いのが現実でした。
うつ病になっても死ぬ病気ではない、ある医者にはこういわれました。しかし、命を絶とうとすることは生きている限りできてしまうのです。命ある限り、必ずそうならないという保証もありません。私の経験談で少しでも苦しむ人への対処法が見いだせたら幸いです。